The Smithsが解散した年に。
運良くか悪くか私は受験に失敗してしまい、時間にだけは余裕があった。そしてやはりバンドは趣味のあった人たちとやらなくては、と思い、兄の友人から譲り受けたグレコのテレキャスをまたもや訳もなく弾きながら音楽雑誌のメンバー募集欄をくまなくチェックしたいた、ある日、同じ市内に住む「スミスと太宰治が好き」な女の子が目にとまりコンタクトを取ることにした、メタル後遺症を引きずっている身にはそれくらい内省的ものを求めたい心境だったのだ。
彼女の話だともうすでにギター、ドラム、ベースとメンバーは決まっており彼女がボーカルそして私がサイドギターというラインナップに落ち着いた。私と彼女以外のメンバーは皆それなりの経験やテクニックもある人たちで、私が、初めて練習に出た時にはにスミスの「ディス・チャーミング・マン」が完璧にコピーされていた。
しかし、ここでまた沸々と疑問を感じてきたのだ。
これだけ完成度が高いなら、私のギターなんぞはいらないのでは?大体、サイドギターなんてスミスで言えば元ブルーベルズ、クレイグ・ギャノンのポジションである、いてもいなくても大して変わりはない。それにこのバンド、どう考えてもスミスの歌を歌いたい姉ちゃんのためのカラオケ隊みたいだじゃないか、別に歌が上手いわけでもルックスがいいわけでもないのに...、おもしろくない。
そのような疑問点を抱えていたある日、ボーカルの彼女から電話があった、知り合った当初からとにかくこの子は毎日のように私のところに電話をかけてきては、ああでもないこうでもないと日頃の不満をぶちまけるのだ。かなり複雑な家庭環境で育っているのはわかるが、もういいかげんにして欲しいと常々感じていた。しかし、その日はいつもと雰囲気が違った、電話の後ろで怒号のようなわめき声とゴーンゴーンという鐘の音がする、よく聞くとその怒号は読教のようだった、「な、なんだかとてもヤバそう..」私はその時点ですでに電話を切る姿勢に入った、すると彼女が「もうあかん、私ここにはおれへんねん、お願いやし今日あんたのとこ泊めてくれへん?!」ええっ、この切迫した空気にこのまま彼女の言うとおりにしていたら私までとんでもないことに巻き込まれそうな気がした、は、早く電話を切りたい、で、でも..。「ええわ、そんなら○○君(ベーシストの男の子)とこ行くし、こないだもそうしてん!」ええっ、いつから君らはそんな仲に!?一体全体??
その電話を最後に、彼女からの連絡もなくなりバンドは自然消滅した。
晩夏から初冬までの短い命であった。
ああ、バンドやめようぜ..。
(まだまだ続くのだが..)